le temps vole

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大いなる沈黙へ

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「大いなる沈黙へーグランド・シャルトルーズ修道院」を観ました。

アルプス山中の男子修道院の様子をカメラにおさめたドキュメンタリー映画です。

監督が撮影したいと言って、よろしいという返事がきたのは16年後だったそうです。

ナレーションなし、音楽なし、照明なし、立ち入りは監督ひとり、という修道院側から提示された条件によって、映画自体がまるで修道院のような佇まいを持つことになりました。

射し入る陽光、ロウソクの明かり、風の音、鳥のさえずり、雪のとける水音。

鐘が鳴り、聖歌が響き、祈りの朗唱があるほか私語ひとつなく、日々の勤めが淡々と映し出されます。

このドキュメンタリーには、世の中から隔絶された修道院と修道僧をめぐる好奇の目がありません。

修道僧たちにはどんな苦労があり、どんな楽しみがあり、どんな家族がいて、どんな過去がある、ということには一切触れません。

ようするに、物語/歴史(histoire)が排除されています。

神には未来も過去もなく、あるのは現在だけだとひとりの盲目の僧が語ります。修道僧たちは人間ではなく神の弟子なのです。

3時間弱、清澄な時間が流れます。
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# by koyu320 | 2014-09-09 16:09 | 映画

木天蓼(またたび)

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ジジは秋刀魚の塩焼きもマグロのお刺身もまるで関心がない変な猫です。

箸につまんで鼻先へ持っていくと、なんだ、これ?と嗅いではみるもののプイと行ってしまいます。

次に、マタタビの粉末をほんの少し段ボールの爪研ぎにふりかけてみました。

これにはびっくり。
顔を夢中でこすりつけ、いつものお澄ましジジ様があられもなく狂喜乱舞の態。

これは味覚の嗜好ではなく、マタタビのある成分が猫の中枢神経に作用するもののようです。

猫はクルマの運転とかしなくてよかったニャア。
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# by koyu320 | 2014-09-06 10:46 |

仕事

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猫の仕事はぐうたらすること。

出されたゴハンを食べて、あとはひたすら寝て、たまに目を開けて庭の小鳥を眺め、ときどき飼い主をおちょくり、そして抱っこしてもらうこと。

生まれ変わるなら飼い猫ですね。
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# by koyu320 | 2014-09-02 15:30 |

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組み立て終わるやいなや、ニャア(これ、これ、これが欲しかったのよ)と言いながら、スッと脚を入れソフトクリームみたいに身体をくるりとまわして箱の中に収まりました。

「グレートビューティー/追憶のローマ」(パオロ・ソレンティーノ)を観ました。
一言でいえば、雑誌「マデュロ」の金持ちヤンチャ爺さんの終活特集号みたいな映画でしょうか。それにしても長過ぎです。シニアは暇ですが、こんな映画に付き合うほどの時間は残っていないのです。
カトリシスムへの視線は意味ありげですが、それならいっそフェリーニの「甘い生活」をもういちど観た方がいいなという思いが募ります。
ただエンディング、テヴェレ河の深い緑陰と水の流れはとても美しいです。
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# by koyu320 | 2014-08-30 11:05 |

テレビ好き

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ジジは「岩合光昭の世界ネコ歩き」を見ます。テレビに駆け寄って画面のネコに触ることもあります。


飼主はヒューマンドキュメンタリー映画祭<阿倍野>2014で4つの作品を観ました。

「架け橋ーきこえなかった3.11」(今村彩子)
「標的の村」(三上智恵)
「妻の病ーレビー小体型認知症」(伊勢真一)
「SAYAMAーみえない手錠をはずすまで」(金聖雄)

ひとりの人間の見聞、体験できる事象はごく限られたものでしかありませんが、ドキュメンタリー映画はさまざまな自分の知らない世界、知らない人々を、まじかに生々しく見せてくれます。
東日本大震災のとき耳の聞こえない人たちはどうしたのか、沖縄のアメリカ軍演習場のそばにある小さな村の住民たちがオスプレイ配備という事態にどうふるまったのか、若年性認知症の妻と彼女を支える夫の日々、狭山事件の殺人犯とされた男とその妻の日常を、それぞれの作品は見せてくれました。
なかでも「SAYAMA」は、冤罪や差別という声高な視点ではなく、夫婦の日常にしずかに寄り添うカメラがかえって問題の深刻さを伝えて、すぐれたドキュメンタリー作品だと思いました。
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# by koyu320 | 2014-08-26 14:26 |